今月、地球に手をかしましたか?

1月が終わります。今月、地球の回復に手をかしましたか?

私は、一年以上ウォーキングを続けていますが、-5度まで下がる今住むエリアで、ついにホカロンをほとんど使わなくてよくなりました。

明らかに、京都から越して来た時よりも、薄着で過ごせています。というのも、新陳代謝がアップして、血流が改善されて、身体がすぐ温まるようになったからです。酒粕などもいただかなくてよくなりました。

当然、その分ゴミが減っていますし、今月も地球にかける負担は減らせました。身体機能を正しくアップさせることは、地球の回復と、正比例します。

そうした視点からも、地球の回復に手をかすことについて、行動できます。無論、多くの方にとっては、そうするために自然の多い本当にきれいな環境に、引っ越すことが必要でしょう。

身体が緩まない?

忙しくあちこちに出かけてばかりいると、身体は緩まなくなります。新陳代謝や血行といった巡り全般が悪くなるので、すごく冷えるようになります。

さらに状態が悪化すると「冬ってこういうものでしょ」と認識するようになり、身体の冷えという事実すら、キャッチできなくなります。鼻水が出ているのに「風邪がひきかけている」と言う認識すら、持てなくなったりします。

(室内でじっとしながら、身体を狂わすことも十分できますが、その話はまた今度にします)

ひどく雑な書き方になりますが、外出して帰ってくると、身体は全身タイツを着た状態になります。どれだけ酷い空間にいたかによって、その全身タイツのデニール数が変わる感じです。

湯船に入ったり、いつもと同じ睡眠時間を確保するだけで、この全身タイツは脱げるでしょうか? ほとんどの場合、デニール数が少し下がるだけです。昨日80デニールだったものが、今朝起きると60デニールになっている位の感じです。

それでまた出かけます。昨日よりは、人の少ない場所だったとします。そうすると、今度は120デニールになります。次の日の朝、いつもと同じ事しかしなければ、100デニールです。

この段階で疲れを認めるより、むしろ動きやすくなった位に思っている人が大半です。作業を次々にこなせるし、朝も身体がゆるまないから、いつもより少し早く起きたりして、自分の「調子が良い」「動いたほうが元気になる」と、誤った認識を深めていきます。

そのうち、全身タイツを重ねたような身体が当たり前になってしまって「もっと筋肉をつけよう」「もっと肉を食べよう」が標語になったりしていきます。これを健康な状態だと、子供に教えますか?どの段階で、修正が可能だったか考えて、今最低5つは書き出してみましょう。

正解に隠れる

「正しさ」にこだわる人の大半は、真実を追求しているのではなく、単に「正解になら隠れられる」と思っています。

例えば「親には感謝するものだ」という正しさに、自分をそわせようとします。そわなければ隠れられないので、必死です。だから、そえないない自分を責めます。あるいは「こういう時、私は大体こう思っている」という正しさに自分をそわせようとして「きっといつもみたいに、こう思っているんじゃない?こう思っているに違いない」と自分に押し付けていきます。

もしみなさんが、誰かに「それ、おいしい?」と聞いて「きっとわたしは、おいしいと思ってるんじゃないかと思う」と返されたら、頭の中に???が浮かびませんか?それと同じことをしている人がすごく多いのです。

これは、自分の内なる感覚を区別しながら、きちんと拾っていけていないから、起きています。思考しているのではなくて、思考停止状態です。

「きっと私は、こう思ってたんだと思います」「あまり意識できてないけど、きっと言われてる通りなんだと思います」「多分なんですけど、わたしはそう考えているんじゃないかと思っています」

こうした文言を、きっと一度は耳にしたことがあると思います。これらは、内側の感覚をないがしろにした思考停止状態の人を表す、こわい文言です。

わざわざ感の強調。

昨日の続きです。あなたが嫉妬されていた時、あなたに嫉妬していた人は、こんなことを言っていたでしょう。

「あなたのためを思って、わざわざ言っている」「あなたがちゃんとしてないから、教えてあげている」

いずれも、わざわざ感がやたらと強調されています。ただ、言われた瞬間には、気づきづらいかもしれません。なぜなら、大学教授が学部生に言っていたり、人生経験豊富なわざわざ会いに行った相手があなたに言うケースが圧倒的に多いからです。「もしかして…、いやまさか、そんな」と自分の中で、消してしまいがちでしょう。

でも、そうしたことと一切関係なく、これはただの嫉妬です。その相手がどんなにあなたにお金をくれようと、どんなにあなたに知識を授けてくれようと、どんなにあなたに地位を与えてくれようと、どんなにあなたに機会を与えてくれようと、これはただの嫉妬です。

「そんなことない」「まさか」と思わず、認めると楽になれます。

「そんなことより」が合図

例えば、妻が息子について心配すると、夫は妻の愛情を息子に奪われると嫉妬して「そんなことより、会社でさ」と返してしまったりします。

例えば、夫が娘に優しい眼差しを向けると、妻は「私にはそんな顔しないのに」と嫉妬し「ほら、玄関の荷物運んでくれると約束したじゃないの」と返してしまったりします。

例えば、子供がナイフとフォークの使い方を学校で習ってきて「こうするんだよ」と見せる姿に、自分の知らないことを知っているなんてと嫉妬した親は「そんなことより、宿題は全部終わったのか」と返してしまったりします。

ご自身が思いのほか嫉妬し、またご自身のまわりでもその認識がないまま、嫉妬だらけだったと、ついに自覚していただけたでしょうか?

どのケースも、嫉妬している人は不機嫌になって「そんなことよりも」「ほら」と、急に話題を変えています。ただ、その時のご本人の自己認識は「俺は/私は正しいことをしている/正しいこと言っている/正しさを知らしめている」です。

だから「急に不機嫌になってどうしたの?」と言われても、本人は寝耳に水の顔をします。本人の認識と周りの印象には、かなりのズレが生じます。

こんな風に、理としての正しさでない正しさを志向しても「癒える」方には、向かえません。

アートより神棚を。

アートがあると、部屋の空気は一変します。アートのある部屋はすてきです。ちょっと高い買い物になることが多く、そんな部屋に憧れる人もいるでしょう。

でも、目をとじたらどうでしょう?アートがあるとは知らない、はじめて入る暗がりの部屋なら、どうでしょう?部屋の空気は一変するでしょうか? 存在しているのに、価値もあるのに、そうならないのは何故でしょうか?

ちゃんと神様のいらっしゃる神棚は、目を閉じていても、暗がりでも、その空間を一変させます。アートのように、視覚情報から気持ちを変えて「部屋の空気が一変した」という認識に至るのと、わけが違います。実際に呼吸が深くなり、目が冴えてきたり、鼻詰まりがなおったりする空間に一変するのです。

存在によって、空気を確実に一変させ、あなたの身体を健やかな方に導く神棚を、なぜ部屋に置かないのでしょうか?なぜ、神棚にきちんと神様がいらっしゃる状態をつくらないのでしょうか?(神棚やお札を買っておいただけでは、アートと同じで、ただ物があるだけの状態です)

家族を癒える方向に配置している方は、神棚をきちんと置き、神様がきちんといらっしゃる状態をつくり、まずはその空間をまもる(=清潔に保ち続ける)ことから、始めているでしょう。

Freshness

I know that people need to have a sense of belonging as a basic need. And nobody should be excluded. On the other hand, currently, many people have a tendency to excessively  attach a sense of belonging. For example, many homemakers rush to buy storage goods like storage racks and storage boxes at 100 yen shops. They believe that all things have a sense of belonging, so they gently write the address on each of things. They feel guilty if something is not in a proper place.

But the sense of non-belonging is seen as freshness and a surprise to us. In traditional Japanese musical “Noh”, Noh actors believed that freshness and rareness are always in the place of non-belonging. So to survive “Noh”, I interpret that they cherished the sense of non-belonging, . Freshness, surprise and rareness are triggers to attract and recall fun. In other words, the sense of non-belonging continuously gives a life to “Noh”.

So I suggest that we appreciate the sense of non-belonging more.

【開催概要】新春単発コーチング「真に癒える」

わたしたちが属するシステム(例:家族)が癒えるには「見る」必要があります。「聞く」では、必要な働きは生まれず、及ばないのです。「それ、○○さんから聞いて、知っていた」は、何も癒さないのです。「実際に、この目で見たんだ」だけが、システムを癒していきます。(この先は、実話ベースの映画『家へ帰ろう』のネタバレを含みます)

アルゼンチンが気になる最近、そこにひっかかった映画『家へ帰ろう』を、内容を知らぬまま、なぜか駆り立てられるように観に行きました。始まってみたら、迫害されたユダヤ人がアルゼンチンに住み始めた話で、アルゼンチンとナチスが結びつかなかった自分の無知ぶりに、頭をハンマーで殴られたのような衝撃を覚えた、2018年の暮れでした。

主人公は、ポーランドで生まれ、そこであの悍ましい経験をします。彼にとって、生まれ故郷ポーランドは発音することすらタブーの土地で、ホロコーストをもたらしたドイツは、通りたくない直に足をつけられない土地です。彼は自分の家族が連行されるのを「この目で見た」からこそ、トラウマを抱えフラッシュバックに悩まされながら、自分を助け親友となったポーランドに住む人のところへ、会いに行きます。

ナンバーの刻印された肉体を持つ彼や彼の娘の姿と、ラテンの小気味よい激しいやり取りの落差が、いい意味で焼き付くようで、そんな中舞台は、途中で知り合ったドイツ人とのやり取りに移ります。彼女の助けで、目的地ワルシャワに近づきながら、加害者も被害者も消える、つまり、ゆるして尊厳を取り戻し今に立つ瞬間があります。ドイツで彼は地面に足をつけたのです。加害者もゆるされた瞬間で圧巻でした。

アルゼンチンにいた時から、医師に切り落とす提案をされていた足は、ワルシャワで病院に運ばれた際、やはり一縷の望みを捨てなかった一人の医師によって、生かされます。ずっと一縷の望みを辿って生きてきた彼は、互いに高齢で生死もわからない連絡もできなかった親友に、自分の足で、つまり自立した状態で会いに行き、二人は窓越しに見た途端、相手を認識します。「この目で見た」から溢れ出すものがある個人間レベルではなく、ホロコーストに関わるシステム全体の癒しが始まる瞬間は、もはや映画とは思えないというか…、現実でした。

祖国に行けない、感謝を伝えたい相手に何十年も連絡できないほどのあまりにむごい非人間的な行いが、ホロコースト以外でもそして過去だけでなく現代でも、起き続けています。時を超えて、システム全体の癒しが必要で、それは「この目で見る」ことから始まるものすごく大きな希望なのだと、この映画に抱きとめてもらった感じがしました。

こうした癒しを、ホロコーストのような距離のあることをきっかけにせず、過去をほじくりかえすことから始めるのではなく、今目の前に確かにあるあなたのリアルから始めていけることは、希望に感じませんか?個人的なエピソードがスタート地点でも、利益をもたらし存在を脅かすような偽の貢献ではなく、みなさんが属する世界全体への真の貢献がドミノ倒しで起きていく時間を、みなさんは今選べるのです。

みなさん自身が真に癒えるとき、それは世界全体を明るい未来へ先導している瞬間です。それを望む方に、単発コーチングをお届けします。

~~新春単発コーチング「真に癒える」~~

■ 日 時:
126日(土)13:00 – 14:00→〆切済
– 1月29日(火)12:00 – 13:00
– 1月30日(水)11:00 – 12:00
– 1月31日(木)20:00 – 21:00

■ 対 象:~ 以下ひとつでも当てはまる方 ~
□ 幸せに向かいたい
□ あの時、幸せに向かえなかった理由を理解していない
□ 並行世界(パラレルワールド)の自分を見たい
□ 良いことを決意する「時」自体を経験したい
□ 時代を超えた動きを理解しはじめたい
□ 災厄や病や死の奥で動く働きを、変容させ始めたい
□ 人生を愛したい
□ 自分を迎えに行きたい
□ 三世代以上前あるいは後に、愛を注ぎたい
□ 生きる力を殺ぐ働きをスルーする態度を会得し始めたい
□ 理に属したい
□ 真実を生きたい
□ 癒える方へこの世界を配置したい
□ 癒える方へ自分の家族を配置したい
□ 癒える方へ自分を配置したい
□ 2019年を最良の一年にしたい
□ 生き直したい
□ コーチングを試したい

■ 手 段:スカイプ or 電話
■ 参加費:30,000円
■ 定 員:3名
■ 〆 切:1月25日(金)21:00
▼ お申し込み:https://globalflowering.com/spot_coaching.html

~ キャンセレーションポリシー ~
お申込みと共に、キャンセレーションポリシー適用となり、お受けにならずとも、セッション費はそのままお支払い頂きます。お子様の急な発熱・弔事・天災によるライフライン断絶時などには、日程を調整し、対応します。過去にクライアントさんだった方に限ってお子様と一緒のコーチング・お子様へのフィードバックも承ります。これまでに頂いた感想は http://wp.me/p2ZjtS-9L5 にあります。

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新春ですから、ご自身を幸せに向かう方へきちんと配置しておくことが大切です。幸せだと信じる方向がまちがっていると、そのまま設定するビジョンは、どんなに努力しても幸せを感じられないという展開を、必ず連れてきます。そんな悲しさとは、縁遠い一年にしませんか?

Graduation from data

When I was a child, I needed a camera to take photos, I needed a CD player to listen to music, I needed a ruler to know the length of something . Each of them exists for one purpose. So we needed to switch our consciousness to go to the next thing without missing a beat. It helped us to decide whether we liked something or not rather than whether we could make something or not.

Now I need only one device like an iPhone to take photos, listen to music and measure. I realized that the feeling that I could do many thiings at once with my hands deprived me of aliveness or life force. Because everything starts to be treated as data. So the world changed from a sphere to pixels. It is like eating chicken soup in separate parts, like carrots first and chicken broth second. In that way, I don’t savor chicken soup in a harmonized way. It is the same as only seeing broken up pixels instead of seeing one picture.

One day I determined to graduate from the pixelated world. For example, I will listen to music as music not data. I want to enjoy music as a whole not as disassembled parts. At least when I was a child, many musicians paid attention to not only to the music but also to the jacket or liner. So I could imagine its music from the liner notes and its work consistently had a clear intention. And feeling the musician’s intention sometimes helped me to go forward. But only streaming digitized music cannot make it.

So I bought a CD player and stopped copying music from a CD to iTunes. Each time I listen to music, I feel like bowing to that musician. They poured their passion into the music, so it is worth bowing to. This also helps me to take back dignity in my whole life. I received conveniences from data, but it is not my future, it is my past.

潔癖 ≠ 穢れていない

穢れると、人間は動きが雑になります。酔っ払いのそれのように、大きくて乱れた動きになり、部屋が以前よりも早く乱れ汚くなるようになります。

乱れた汚い部屋で、乱れた雑な動きをするので、物を落としたり傷つけたり、打ち身やささくれなど小さな傷がが増えるでしょう。大味を好むようになり始めるので、冬なのにカレーを食べるといった刺激的な方へどんどん進みます。刺激の多いお食事で肌が荒れても、栄養バランスはサプリで補う方へ進みます。

何をするにも「感じる」のではなく、ただそれを済ませるという作業になっていきます。誰がやっても同じになってしまうということです。感じていないので、何かをするときの基準は「心が動いたか」になってしまいます。作業をしていて心が動くわけがないので「いかにたくさんの作業を手早くしたか」という基準で、心を動かそうとします。人からの「よくやったね」をどんどん求めるようになり、いずれそのためにがんばるようになります。

真心を込めるには、心を鎮めて目の前のものと本当に出会う必要がありますが、心を鎮めること自体に、ひどくイライラするようになります。掃除など、毎日のあまり変わり映えしないことに意味を見出せなくなり、例えば、掃除よりも変わり映えのする部屋の模様替えの方を、好むようになります。

それでも肉体は不快を感じ、それを拾えないまま時が経っていくと「テーブルの端から5cmのこの場所にないと、嫌」「これはこの場所にまっすぐおかないと、イライラする」といった強迫的な状態に、入っていきます。潔癖症にもなります。

潔癖であることは、穢れていない状態ではなく、穢れがだいぶ進行しているのに正しい対処ができぬまま、さらにアンバランスになったことを表します。そこまでのあなたの思考が、大幅に間違っていたということです。あやまちはあなたから始まっています。

縁結び

「すごく辛かったけど、それがこのご縁もうんでくれたから」そんな風に「めでたし、めでたし」とまとめたくなるなら、ちょっと待ってください。

どんなことも、縁は結んでくれます。当たり前です。それが本当にいいご縁なのか、しっかりと見極められていますか?

「縁結びになったから」という理由で、心が安定してしまえるおかしさに気づいていますか?例えば、裏社会に入ることだって、縁結びのひとつです。

「すごく辛かったけど、それがこのご縁もうんでくれたから」と締めくくれる人は、自分で思考しなくなってから、随分時が経ってしまっています。

世の中にふわふわ浮いている、複数の人が囁いていたことを、自分の意見だと思い込む癖がついてしまっています。これは、人間として安全な状態でしょうか?

譲って、翼になる。

誰かに何かを譲るとは、自分の気持ちを押し殺し、自分を犠牲にすることではありません。

あなたが、その誰かの翼になるということです。わたしたちは、相手を思いやるとき、その人の翼になります。

そこには、翼にしか味わえない世界があり、喜びや気持ちよさがあります。それ自体が報酬になります。窮屈さや苦しみはありません。

徹底して自分を中心に置く人は、自己陶酔のために、思いやりに見える形をとります。それでは、誰かの翼になる経験は、永遠に訪れないでしょう。

検索エンジン脳

LINEに代表されるやり取りの仕方が普及してから、崩れたお豆腐みたいな文章をしるす人が増えました。思考しないで済む仕組みに飛びついた人達が、さらに思考しなくなったのでしょう。

思考しないようになると、視野は狭まります。その結果、応用力が人生から消えてしまった人がたくさんいらっしゃいます。自分に関係ないキーワードには、反応できないのです。

例えば「母親」「経営」「アルゼンチン」など、気になるキーワードが、みなさんそれぞれにあると思います。ところが、これらのキーワードを使わずに、こうしたキーワードにひっかかる人向けの記事やサービスや会話は、ごまんと存在します。

しかし、思考できなくなると、検索エンジン脳になるので、そうしたものは完全にスルーしてしまうのです。読んでも話しても、応用力がないから、自分事として咀嚼できません。