真実を生きる(二)

歩きながら、下肢からは遠い筋肉郡を感じられる瞬間が、うれしいです。昨日の続きです。

真実を生きることに惹かれながら、内心では欲に添いたいと思っていると「真実を生きるには、見たくないことを見ないといけない」という、架空の障害物をつくりだします。結構多くの方が、好んでつくりだす怪物くんです。

そもそも「見たい」「見たくない」とジャッジすることが、真実から遠いのです。「見たくない」といった心の動きによって、視野の広がりや深みを変えないことが、真実を生きる姿勢だとも表せるからです。

真実は事実とは違います。事実は第三者も確認できます。一方、真実は感じていくものなので、正確に感じていくトレーニングなしでは、思い込みとの判別はできないでしょう。

あくまでもイメージでいうなら、真実に向かう車の中で、車窓からの風景として色々な事実が見えます。真実と事実はそんな関係性です。そして、あくまでも真実は感じるものです。良かったら、何度も読み返してくださいね。

さらに明日に続きます。

——————–
オンラインWS「あんぜん3部作」お申込み (~201711/30)
https://ws.formzu.net/fgen/S86985973/