皮膚が思考や感情を生む。

アキアカネをたくさん見られて、しあわせです。おはようございます。吉野実岐子です。

みなさんすっかり、半端な知識から、脳が思考や感情を生むと思い込んでいるようです。その思い込みで、身体全体の使い方が不自然になり、自ら不調和を生んでいる方も、たくさんいらっしゃいます。

そんな風に良かれと思って知った半端な知識で、自分をあやまった方へ導いている方が、ごまんといます。だからこその今の世の中の様相だと見ると、腑に落ちる方もいらっしゃるでしょう。「そうそう、あの人は」なんて、他人事で考えて納得するのではなく、矢印を自分に向けて「自分もそうだな」と認められるようになると、みなさんは一歩強さを取り戻しています。今回初めて認められた方は、すこしだけ生気が戻ったことでしょう。顔色も良くなったかもしれません。

さて、思考や感情が生まれる前には、内臓や皮膚や筋肉にごくごくわずかですが、収縮が見られることが判っています。それを脳で知覚するという順です。正しく思考して、正しく自分を導いていくためには、皮膚に余計な収縮を起こさせなくていいよう、きれいで清い(清いと同じ広さでも、広がりを感じます)空間で過ごすことが、まず第一に大切です。

ところが、この地球上できれいで清い空間がほとんどないため、みんな思考も狂いに狂いまくっていて、いきなり号泣する人が出たり、いきなり叫ぶ人がでたりするのです。せめて、埃のない空間にするとか、毎日洗濯するとか、自然素材100%のものを身につけるとか、そういったことをしていかないと、人道を歩けるか歩けないかのギリギリにすぐ迷い込めて、あっさり獣道を歩くことにもなります。そうした、非常に重要なベースとして、きれいで清い空間づくりがあります。

それには、何がきれいか、何が清いかを、きっちり知っていく必要がありますよね?また、身体も空間ですよね?(だから、胃カメラや内視鏡、入れられますよね?)みなさんが「道徳上大事だよね」のような分類分けをして隅に追いやって、優先順位を下げよう下げようとする、きれいで清い空間づくりこそ、一番大事なのだということを、改めてご理解いただきたく存じます。

肌が合う。

鮫肌といいますが、刀剣や薬製造過程でも、鮫肌(実際はエイの一種)が使われるなど、身近だったんですね。おはようございます。吉野実岐子です。

「肌が合う」といいますよね?「息が合う」とどう違うでしょう?考えて明確に区別したことはありますか?

質問を変えますね。どちらがより「変えられない」ことでしょうか?楽器演奏者の方や、チームプレーするスポーツをされている方は間違えないでしょう。

息は合わせられます。変えられるんです。しかし、肌は5分ごとに変えたりできませんよね?「あら、肌合わせてくれたの」なんて言われたら、何事かと思ってしまいます。

「息が合う」は浅いこと、「肌が合う」は深いことと、位置付けられるでしょうか。メルマガにも書きましたが、相手の質は皮膚感覚として、情報処理されることもあります。物理的に触れない相手、たとえば電話しただけの相手にも「ベタベタしてる人で嫌だったな〜」なんて思えます。実際のリアルな皮膚感覚としても「湿気でベタベタして嫌だな〜」なんて言いますよね?

さらに「なんだか気詰まりだな」も皮膚が感じた緊張感ですよね。寒くても鳥肌はたちますが、鳥肌がたつほど嫌ということもあります。

触覚が正常に働いていることは、極めて大切なのです。ほとんど寝ている赤ちゃんは、嗅覚と触覚と聴覚で生きているようなものです。この三つで世界が安全かを知っていくのです。だから、毎日紙おむつは避けたいし、化学繊維でフワフワのものを着せたりかけるのは、どんなに安かろうと、極力避けたいのです。

例えば、統合失調症と診断される状態にある方は、圧倒的に皮膚感覚が脆弱(例: 手が荒れるといいつつ、手袋をせず洗い物/足裏がガサガサでも結局無視できてしまう)なことが多いのです。(気づけぬまま、統合失調症の初期の状態の方、とても多いです。)そうすると、手を握っても「肌が合う」かどうかも分からず、パートナーとして、とんでもない相手を選んでしまったりするのです。(より突っ込んで書くなら「セックスしてみないと、相性がわからない」などと言っている時点で、皮膚感覚はかなり脆弱で、非常に危険な領域にいらっしゃいます。)

ちなみに、息をかえられるのは、身をまもるためですが、その話はまたいつか。

足のサイズだって変わる。

ようやく思い描いていた通帳入れに出会えました。おはようございます。吉野実岐子です。

京都に住んでいた頃、東京で靴を買ったことがありました。わたしの足は24.3cmで、メーカーによって、24cmを履いたり、24.5cmを履いています。

しかし、その日はいつも履いている型の靴の色と素材違いを買いに行ったのでした。だから、同じ24.5cmサイズでいいはずでした。

しかし、嘘みたいに24.5cmがゆるいのです。素材も新しく買おうとしている方が堅く「きついのならまだわかるけど、ゆるいなんて・・・」と、戸惑いました。店員さんにも見ていただいて「ゆるいですよね、明らかに」と意見が一致しながら、その後東京で履いていました。

そのまま、京都に帰ったのです。そして、数日して、近所に出かけるため、その靴を履くとなんだかぴったり・・・1時間歩くとやはりきついのです。「あんなに確認したのに・・・」と首を傾げました。その後何回履いてもきつくて、首を傾げました。

それで気づいたのです。東京で肋骨がキュうっと小さくなり、腰もギシギシいいそうに縮まることは自覚していましたが、足もまた穢れから身を守るため、収縮するのです。骨同士の隙間が最小限になることは、足の甲にだって足指にだって、起きうるのです。

わたしが履いていたのは、革のスニーカーで紐に伸縮性があるものでした。実際、地方在住の方で、普段から愛用している伸縮しない紐靴を履いて、穢れた東京に数日滞在したら、靴がゆるくなり甲に痣ができた方もいらっしゃいます。やはり地方在住の方で、普段から履いている一番歩きやすいパンプスで、東京に数日滞在し、靴がゆるくなり、足にマメができた方もいらっしゃいます。

そして、それが身体のただしい反応なのです。きたないところでは、心臓を守るため身を縮め捻るのが、正常な身体の証です。きたないところで眠れたりごはんを頂けるなら、身体は狂いに狂っています。

わたしの足は、東京では24cmがぴったりになります。しかし、小学校高学年で今の身長になった(成長が止まった)東京育ちのわたしは、高校生の頃は24.5cmを履くことが多かったのです。

これだけでも、今の東京(というか、首都圏)がどれだけ凄まじく穢れているか、いかに危険で危機的か、みなさんに伝わるのではないかと思い、書いてみました。ちなみに、三重県では24.5cmを履いております。

変化を基準にする怖さ。

早朝から広がる金木犀の香りに、うれしくなります。おはようございます。吉野実岐子です。

判別しやすい変化があると「効果があった!」「前進した」「成長してる~」なんて、喜んでいる方を、多く見かけます。これは、とても怖いことなのです。

なぜなら、わたしたちが変化を基準にするとき、そこで変化として認識されているものは、単に調和を乱したものだからです。

そのアンバランスさを不協和音を「やった、変化した!これすごいよ」と評価した先には、何が展開するでしょうか?不協和音だらけになって、ガタガタにバランスの悪い未来です。

ガタガタにバランスが悪くなりつつあるときに「でも、あれがよくなったから、逆に今まで気にならなかったこれが目立って感じられているだけ」と、自分を丸め込んでいる方は、とっても多いです。

本質的な変化というのは、いつでも静かに確実に調和しながら起こります。判別しやすい変化は見うけられず、全体があくまでも調和しながら幸せに向かっていくとき、それを正しく評価できず「何も変わっていない」「何も進んでいない」「効果がない」とみなしてしまう方は、とっても多いんです。それは、地球を生きるために備わった五感を鈍らせたり、五感からの情報をまとめないように心を閉じて頭をフル回転させているからなんです。

ハートを経由させる。

お彼岸も明けまして、今年もあと100日を切っています。おはようございます。吉野実岐子です。

ショックなことが起きて、麻痺させたり解離するとき、人はこころを閉じます。エネルギーが身体を巡らなくなるのです。

それでも、もともと一定以上身体が繊細に生まれついている場合、集中すれば、色々な感覚を呼び覚ますことができるのですが、それらをつなげないようにしてしまうのです。ざっくりいうと、ハートでつなげているから、そのハートを閉じてしまえばいいわけです。

得た情報があっても、それらを総合して、精査して「直感的にこれです」と導き出すことをしないようにしていきます。得た情報があってもそこで留めて、他と連携させないようにするのです。そうすると、その後の作業がなくなるので、思考がぐんぐん狂っていきます。

身体は繊細なんだけど、思考が狂っている人の場合、基本的にこうしたことが起きています。そして、そのためには、麻痺や解離から抜け、ハートをひらいていくプロセスが必要です。それは「息を吹き返す」ようなことで、正直とても痛いことです。(痛みを和らげるグッズや方法は、もちろん紹介します)久しぶりに、肺に酸素が思い切り入ってしまって、これ以上肋骨が広がらない痛みのような、そんな感じだろうと思います。

でも、その痛みに入っていく勇気を持つと、一気に人生は好転していきます。特にもともと、身体が繊細で、身体が得た比較的正しい情報が既にあるわけですから、あとは料理していくだけです。たとえるなら、おいしい野菜があるのだから、おいしい野菜を探そうとする必要からは、初めから解放されているのです。この勇気が、あなたを深く統合し、本当に地に足の着いた「あぁ、ご先祖様からつながれたいのちの先端で、地球の上に生きているのだ」という感覚をもたらします。

ハートをひらいて、得た情報がすべてハートを経由するようにすると、統合するスピードはうんと早くなります。生きている実感の得方自体が、変わっていくようになります。後々「あの頃は死んだように生きていた」と振り返られるようになるでしょう。

誤嚥?

オンラインワークショップ、「あんぜん3部作 第2部:そこは地球だった」の9月29日(金)開催分は、今夜9時が〆切です。おはようございます。吉野実岐子です。

高齢者の誤嚥による窒息死の人数は、交通事故死の人数を上回るそうです。そんな「誤嚥」というと、高齢者のものと思っている方もいらっしゃるかもしれません。確かに、筋トレの対象になるような筋肉と比べ、内臓を動かす筋肉は衰えにくいようにできてはいるそうです。

でも、それでも無事に飲み込んだりするための筋肉群は、30代からは衰えるそうです。衰えは、声のかすれやすさ/痰が増える/むせることが増えるといった表れ方をします。

のど仏の位置は、女性は頚椎5番、男性は頸椎5番と6番の間にあります。が、歳を重ねお尻が垂れるように、のど仏の位置も下がります。70代に入ると、女性は頸椎5番と6番の間に、男性は頚椎6番と頚椎7番の間にまで、下ります。

これで、年齢が上がると、声が変わるのも理解できる方が多いのではないかと思います。そして、例えば、ずっと入院していたりして手足の筋肉が衰えても、自分で飲み込む力が残っている方は、よく歌を歌っていたなど、無事に飲み込んだりするための筋肉群を結果的に鍛えていた過去を持っているそうです。すべては、自分から始まっているんですね。

これは主に高齢者と極端に免疫が落ちた人のケースのようですが、無事に飲み込んだりするための筋肉群の衰えに気づかず、慢性的に誤嚥していると、麻痺してしまって、むせたり咳き込むこともできなくなります。今からでも、五感をどーんとひらいて、そうしたことに気づけたり、自分で自分を安全にしていく趣味や日々の習慣を重ねていくと、未来は明るく爽やかになるでしょう。

【開催概要】 10/9 and 10/17 WS「あんぜん3部作 第2部:そこは地球だった(オンライン)」

強風後ときどき来る虫が「ヤマトタマムシ」だと知って、びっくりしました。おはようございます。吉野実岐子です。

触覚が鈍ってくると、高い機能性をうたった服を好むようになります。湿度の高さゆえ暑く感じる/気温の高さゆえ暑く感じる、この二つを区別できなくて、クローゼットには静電気が起きやすい服が増えます。

嗅覚が鈍ってくると、オーガニックの精油など天然香料と人工香料の違いが分からなくなります。「同じバラの香りがこんなに安くて持続するなんて、むしろそれを選べる自分が賢い」と子供に柔軟剤の香りをまとわせ、スズメバチを興奮させて、子供が刺されたりするのです。

五感の中で、わたしたちが人間社会への適応を試みるほど、鈍りゆくのは触覚と嗅覚です。フェイクグリーンにニ年間も水をあげ続けた人がいると聞き、驚きました。それでは、日々の判断も誤って当然です。思い込みを直感だと受け取り、小難を大難にする道へ感謝してしまうでしょう。苦しんでいることを頑張っていると、勘違いするでしょう。

思い込みではなく、触って確認できる安全を選べるために、五感だけでなく、直感までひらいて、いつでも持ち運べる安全を、あなたの掌の中にもたらします。ワークショップ「あんぜん3部作」は、第2部もオンラインで開催しますので、居住地を選ばずご参加いただけます。

~ワークショップ 「あんぜん3部作 第2部:そこは地球だった(オンライン)」~

■ 日 時:
– 10月6日(金) 午後2:00~4:00
※ 上記以外の別日程(~2017年11月24日)の提案も、歓迎します。

■ 場 所:スカイプ上(有線LAN接続必須)

■ 対 象:~以下に一つでも当てはまる方~
□ 子供の頃は、今より五感が鋭かったと思う。
□ 妙にミスが増えたし、疲れが抜けない。
□ いつも落ち着いた静かな心で、自分を開いていたい。
□ 浮ついたり、調子に乗ることがある。
□ 安心感は要らない。どかっと安心したい。
□ やる気になるまで、待つことがある。
□ どこにいても、自分や家族を安全にしたい。
□ 適量や適宜がどこか、わからないことがある。
□ なぜか繰り返すことを、今度こそ紐解きたい。
□ 今の地球が安全でないと、気づいてしまった。
□ 経営判断をあやまりたくない。

■ 定 員: あと1
■ 参加費:12,000円
▼ お申込みはこちらから:<開催リクエスト受付中 ~11/30 21:00まで>

~ ご協力お願い申し上げます ~
治療が必要な方(喫煙や飲酒の常習・共依存の状態を含む)は、ご利用頂けません。プレゼント利用の際は、守秘義務に同意したものとみなします。複数で進めますので、静かな環境づくりにご配慮ください。お申込み後のキャンセルは、一切承りません。参加費が発生します。お申込み後の日程変更は、新たな日程提案(2017年11月24日まで)も含め、二回まで可能です。

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3部作ですが、単発で受けても、どの回から受けてもOKです。3部すべて受けると、相乗効果があるように作ってあります。すべてお受けになった方には、3回目終了後、オーガニックの高品質な精油で作った「あんぜんブレンド」を、お渡しします。日常に確かな安全をもたらすことを支えてくれる、即効性があって毎日使える精油です。

直感だけでなく五感も失いつつある人類が、地球を雨の降らない星にし、陸の消えた星へ生まれ変わらせつつあることに、危険を感じています。みなさまのハートにこのワークショップが届き、このワークショップが本質を受け取りたい方のお役に立てることを、祈っています。

そうそう、ワークに使うのでこのクッキーをお送りします。糖尿病や小麦粉アレルギーなどある方は、お申し込みの際、お知らせください。その際は、変更に時間を要するため、早めにお申し込みいただけますと、助かります。

軽んじる。

あなたを軽んじる人は、あなたが「できる」とどこかで知っているからこそ、あなたが「できない」と嘆く様に、「できる人は特別な能力があるだけだ」と、あなたを軽んじるでしょう。

こういいかえればいいでしょうか?テストで70点のあなたが、テストで50点のひとに「できない。100点とりたいのにとれない」と嘆くと、50点だった人がこういうのです。「あの人は特別だから、100点とれるんだよ。わたしたち/ぼくたちとは、違うんだよ。だから悩まなくていいし、そもそも目指す必要なんてないんだ」そう言われてあなたがホッとするなら、軽んじられたことを整理整頓の手伝いのように、勘違いしています。

こんな風に軽んじられて、ホッとしたりスッキリしたりしているカップルは、かなりの数に上ります。上の例でいうなら、50点の方は「わかりやすくしてあげた」と相手を助けたつもりで、むしろ意気揚々としています。でも、していることは凄まじい自己否定と他者否定です。そういう方で、親子関係が逆転していない方は、一人もいません。自分より20点も高い人に「100点の人はぼくたち/わたしたちと違って」と一括りにできちゃう傲慢さは、相当です。

では、70点の方は、なぜそんな50点と付き合い続け、軽んじられる道を選ぶのでしょうか?あなたが70点なら、そちらを考える方に、あなたが生きていける道があります。それは、50点と共依存の関係にあるからです。そして、こちらも100%親子関係に課題を残したままです。70点が自分と対峙し自分を変容させていく道を選ばすに、役割に逃げつづける限り、ずっと70点は軽んじられ続け、その度に50点に「ありがとう」と感謝するridiculousな瞬間が続いていきます。

そうやって自らを下げていくと、ご先祖様の位置も下がり、今生きている血縁すべてを下げていくことになります。他者に迷惑しかかけていない状態に入ります。それをあなたは望んでいたのでしょうか?

「あやしい」と思う裏。

「理解できないものはあやしいから、ちょっと距離を置こう」そんな姿勢を見せる人を多く見かけます。紐とけば「理解しよう」と粘ってないし、観念上にしか成立しない「絶対に」(例: この電車は絶対に遅れない/このメソッドなら絶対に独立してもうまくいく/このレシピなら絶対においしい)を求めていたりします。

結局、自分では責任をとりたくなくて、誰かに責任をなすりつけたい欲求があるとき、即ち子供のままでいようという企みを隠し持つとき「あやしいから」が、前進しない理由として、みなさんの中に浮上しています。

結論からいうと、幼児でいようと画策する人は、留まることばかり選び、大難を呼び寄せます。留まるからこそ、他者の領域に侵入します。「あやしいから」と留まっているみなさん、そのいのちを浪費する遊び、いつまで続けるんですか?