「ただ起きた」といえる気高さ

この世にはひどいことが多々あります。ただ、全体を見渡すと、痛みに満ちたきっかけが、希望あふれる結果を生むことは、よくあります。

鳥の糞で庭が汚れて「最悪!」と思っていいけれど、10年後の庭は、糞にはいっていたタネのおかげで、果樹に彩られているかもしれません。その喜びは「最悪!」と怒るほどのことから、もたらされたのです。

結果として生じつつある素晴らしさに心をひらいていけると、起こってしまった本当にひどいことと、和解していけます。それは起こってしまった痛みに満ちたことを、ありのままに受け入れるということです。ありのままに「ただ起きたのだ」といえる気高さが必要です。