知識から始めるから、修行になる。

土曜夜のワークショップ、今夜21時がお申込み〆切です。おはようございます。吉野実岐子です。

「できるようになれば、自由になれる。前進できる」と信じている人は、まずは知識を入れようとします。そうやって生まれるのは、自由や前進ではなく、新たな思い込みに過ぎないことに、そろそろ目を開きましょうか?

「楽しくやらないと」と手抜きを賛美する人がいますが、「厳しいことも楽しめる」のは大人の特権です。子供のままの人たちは、楽しめない自分の力量を認められません。ちなみに「楽しいです」と口にし、そう思い込むことは、自分への抑圧です。

例えば、「呼吸を深くした方が、リラックスできる」と知識を振りかざし、意識で身体を操ろうとすると、必ず修行になります。そうして「楽しくやらないと」と、逃げ道を作るのは、可笑しいです。

単に、身体の感覚を大事にし、自分の思考を大事にし、その上で後から知識が少しだけはいれば、どんどん勝手に楽しくなります。例えば、解剖学を学び「こうすれば、身体は楽になる」と、知識から始めれば、修行になってしまうでしょう。

体感や思考を無視するから「楽しくやらないと」と、いちいち気合を入れる必要が出てくるのです。知識から始めたから、修行になったのです。体感ありき、自分の思考ありきであれば、日々の日課もうんと楽しくなって、そのことに自分で驚くでしょう。仮に周りから修行に見えたとしても、自分では最高に楽しくなっているでしょう。