過疎地は、高齢化先進地域。

鬼は外!福は内!おはようございます。吉野実岐子です。

「過疎地」という表現があります。例えば、年代別に見て、85歳以上が一番多い地域などは、結果的にそう呼ばれます。「過疎地」と呼ぶとき、それは腫瘍のように、問題としてみられ、取り除こうとされます。

しかし「20年後の日本を先取りしている」と、高齢化先進地域として、見ることもできるでしょう。そこからの展開は、東京のような「過密地」(対応させるため、とりあえずこう呼びます)に、ヒントやアイデアを与えてくれるでしょう。

現在からみれば「過疎地」は問題児でしょうが、未来から見れば「過疎地」は「過密地」にとって先生です。それは、現在からみる「発展途上国」は問題だったのに、少し経つと自らを「先進国」と呼ぶ国が「発展途上国」から、持続可能性等を学んでいく現象に、似ています。

何かを問題とみなし、問題を取り除こうとしていくとき、「自分達は変わらなくていい」という姿勢が暗に含まれます。上の例で言えば「過密地」は変わらなくていいし、「先進国」は変わらなくていいと、傲慢にも決めているのです。これは、個人においても言えます。病を取り除こうとする姿勢は、「自分は変わらなくていい」という傲慢さを土台にします。自然界において、すべては変わりゆくのです。

すべてがつながっている真実に刃向かわず、みんなが自己変容を歓迎するなら、「過疎地」も「発展途上国」もあらゆる問題も、病もまた変容します。

なぜなら、どれもみんなでつくった「子供」だからです。病の例でいうと、どんな遺伝子を持っていようと、それをオンにする習慣/生活様式を選んだのは自分です。そういうと解りやすいでしょうか?自分の「子供」なら、取り除くより、愛していきませんか?子供が問題児か先生かということより、その子が自分の子だということが、大切です。これが、自己変容していく態度です。

自己変容を歓迎していくことは、2017年を生きるすべての人を幸せに導く態度です。