「いていいんだ」という感覚をつくる志向。

日本にもともと強くあったのは、水・空気・土・いろんな植物・あらゆる動物が、お互いに助け合って森全体でひとつのいのちになる、そして森と川と海がまた助け合ってその全体でひとつのいのちになる、そういう「全体性」を志向する態度だったと捉えています。「完全性」ではなかったのです。

「全体性」を志向していると、人をだましたり、自分に嘘ついたりといった、大きな代償を払わないですみます。何もできなくても何かできても、お互いに助け合っていけます。そうすると「ここにいていいんだ」という感覚がうまれていきます。

「それは水の話」「森と海はうんと遠いから、直ちに影響はない」そんな風に分断していくと、人は「全体性」を志向していたはずなのに「完全性」を志向していて、自分の不完全さに悩み緊張し、「いていいんだ」という感覚をつくれないで、より競争社会を産んでしまうようです。

わたしたちはもともと、全部で一つのいのちでした。あの場所は、あの動物にしかうめられない場所で、この場所はあなたにしかうめられない場所で、交換はできません。ホッキョクグマは赤道で生きられないし、熱帯魚はロシアで生きられません。

「いていいんだ」という感覚を求めているなら、「完全性」を志向することをキッパリやめ、退路を断って、「全体性」を志向しましょう。