記憶の園から出る。

東京で忙しくしています。おはようございます、吉野実岐子です。

記憶は人工物です。ディズニーランドのペンキ塗った岩と同じですね。自然物ではないのです。

「わたしは大丈夫じゃないんじゃないか」「ダメな私でいれば居場所がある」「それが何かわからないと進めない」「どうしたらいいかわからないから、できない」こうしたことは、すべて人工物です。記憶の園のアトラクションのひとつに過ぎません。

多くの人が「生産性が高くないと、居場所がなくなる」という記憶の園のアトラクションに行列しています。そして「つい人と話し込んだのは、生産性が低かった」「つい本に夢中になったのは生産性が低かった」と、ロボットの機能性を上げるがごとく、ご自身を叱咤します。

しかしそもそも、生産性の高い自分という理想の自分の方が、記憶の園にしかないものなのです。ディズニーランドから出たらダンボには乗れないように、記憶の園から出たら、その理想の自分は跡形もありません。

現実的に人と話し込んだのは、なにか得るものがあったからでしょう。本に夢中になったのは、楽しみなど得られる感覚があったからでしょう。そうした現実の方で自分が大事にしているものを、しっかりと大事だと認識しなおしてあげましょう。

理想の自分という記憶の園のアトラクションの方が、現実から遠かったのです。修正すべきはそちらです。理想に当てはめるのではなく、理想を修正するのです。

「今日も生産性高めるぞ」とハイハイしている赤ちゃんがいたら、こわいですね。生産性という発想自体、記憶の園のアトラクションに過ぎないのです。