言葉という「形」。

昨日の写真は、実はどちらもきれいであっても清くはありません。(ちなみに、わたしからは、どちらもきれいに見えません)

「清い」や「清らか」や「清々しい」といった言葉をご自身にとって都合よく解釈して、これらの言葉自体の質をおとしめている方を多々みかけたので、ご紹介しました。

言葉の質をおとしめ、そこにぶら下がるのでなく、その言葉の質に見合ったご自身になられてはいかがでしょうか?

言葉という「形」を、欲望まみれにしてけがすのではなく、あなたの現在位置をおしえてくれる北極星として、ありがたく思い、関係を紡いで行かれてはいかがでしょうか?

わたしは言葉のような「形」をけがす人が、大嫌いです。