笑え!な朝。

届いた洋書が、持ち歩けない分厚さ(百科事典より分厚い)で、もう「笑えっ!」て感じです。

おはようございます、吉野実岐子です。今日も復習のシェアです。日本語も英語もフランス語も、語彙力伸ばしていきたいです。

・Ways to say AND

Also ,Adding to that ,Plus ,And so forth ,And so on ,Next ,Then ,Afterwards ,Following that ,Another ,Another way to look at that ,So ,Therefore ,Because ,Including ,Remembering ,With ,Inclusive of ,Along with ,Together with ,Coupled with ,In conjunction with ,As well as ,To say nothing of ,Not to mention ,Let alone ,In addition to ,Linked to ,Added to,Attended by, Additionally ,On top of ,Besides ,Moreover ,Futherrmore ,At the same time ,Similarly likewise ,By the same token ,By the same sign ,All included ,Among other things, Let me add, Let me tag on just this, Let me tack on, And the following, And here’s the twist, And the fanny thing is, Related to that, Keeping in mind, Paying special attention to, Which fits with, Of course, It’s a good thing that

映画「となりのトトロ」で蒔いた種のまえでダンスすると、種から芽が出てぐんぐん伸びて、あっという間に緑ふさふさのわさわさになるシーンがあります。「わたしの語彙力もあんな風にダンスで伸びたらいいな」って、それじゃあ現実逃避ですね。むむむ…がんばります!!

言葉という「形」。

おはようございます、吉野実岐子です。

昨日の写真は、実はどちらもきれいであっても清くはありません。(ちなみに、わたしにとってはどちらもきれいに見えません)

「清い」や「清らか」や「清々しい」といった言葉をご自身にとって都合よく解釈して、これらの言葉自体の質をおとしめている方を多々みかけたので、ご紹介しました。

言葉の質をおとしめ、そこにぶら下がるのでなく、その言葉の質に見合ったご自身になられてはいかがでしょうか?

言葉という「形」を、欲望まみれにしてけがすのではなく、あなたの現在位置をおしえてくれる北極星として、ありがたく思い、関係を紡いで行かれてはいかがでしょうか?

わたしは言葉のような「形」をけがす人が、大嫌いです。

きれい ≠ 清い 1

おはようございます、吉野実岐子です。

久々に東大寺にいって参りました。二月堂の辺りは好きです。そして大仏さんも好きです。

大仏さんに必死に協力をお願いし、わたしからも約束することをお伝えしていたら、涙目になってしまいました。大仏さんもいてくださるし、とにかくがんばります。

ちなみに、お堂へ続く芝生広場からみた右手には変なのがいて、ギョッとしました。ひえーっと思いながら、大仏さんだけ集中して感じて、帰りました。外から感じたときに、気づけなかったことを反省し、明日の糧としました。課題がみつかるのは、希望です。

さて、本題に入ります。以下の写真は、きれいだと思いますが、さらに清いでしょうか?どちらも、写真の加工などは、一切していません。

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きれいなだけか、きれいでかつ清いのか、どちらでしょうか?明日に続きます。

スペース確保の日。

おはようございます、吉野実岐子です。

新しい学びに入る前は、古い学びを復習し手放す時間を大切にします。部屋に巨大ソファーを入れたいなら、戸棚やら小物にサヨナラして、スペースを確保するのと同じです。

というわけで、本日は単にわたしの復習のシェアです。「英語学習者には、参考になるんじゃないかな」と思いますよん。

・Ways to say YES

Affirmative ,Correct ,Exactly ,Precisely ,Right ,Roger ,You bet your life ,You can say that ,Again ,Check ,I second that ,I support that ,Right on ,I’m with you ,Oh yeah ,You got that ,Isn’t that so! ,Surely ,Alright ,O.K ,Sure ,Certainly ,With confidence ,Dingo ,That is the truth! ,Thumbs.up ,I appreciate that ,I hear you ,Agreed ,Ditto ,By all means ,Hear. Hear ,So be it ,So it is ,Why yes ,Indeed ,Indeedly ,Yes Indeed ,Assuredly ,Absolutely ,Positively ,Really ,Truly ,To be sure ,Quite Right ,Allrighty ,Fine ,Good ,Well done ,Good enough ,Very well ,Naturally ,Of course ,As you say ,Eureka! ,How profound ,On the nose ,I suppose so ,That’s what I figure ,Copy that ,I’m with you ,Fabulous ,By jove. I think ,You’ve got it ,You’ve got a green ,Light from me ,Wow.Great minds ,Think alike ,I know what you’re saying ,You’ve got my vote on that ,Fantastic ,Excellent ,I like how you put that

「ハレルヤ!」なども、上のリストにはあったんですが、突然わたしがそれを言ったら、明らかにネィティブにびっくりされそうで、入れていません。もっとも深刻になりすぎた状況を変えるには「ハレルヤ!」はいいかもしれませんね!

諭したり宥めたり?

おはようございます、吉野実岐子です。

「そんなに怒らなくてもいいじゃない?相手の気持ちにもなってみたら?」「ほら、泣くのはやめて、ケーキでも食べようよ」

こんな風にさとしたり、なだめたことはありませんか?

相手を助けようと思ってしたのでしょう、もちろんね。

でもこれ、実は、単に自分の中の未解決の悲しみや怒りに触れて、いたたまれなくなっているだけなんです。相手のこと考えてあげているようで、めちゃくちゃ自己中なんです。

宥めたり諭したりして、どんどん不健康になってしまわないでくださいね。

泣くのも怒るのも、理由なんて要りません。表すことと相手にぶつけることの区別はした上で、自由にやってくださいね!

静かに朗らかに「始末」する。

おはようございます、吉野実岐子です。

久しぶりにお蕎麦さんに入ったら、蕎麦湯がでてきました。「あちゃー!家でもできることだけど、やってない。生かしきってないな」と、自分の日々の粗雑さに気づかされ、ハッとしました。蕎麦湯は、料理の「始末」の一つ、いのちを生かし切る方法の一つだと思ったのです。

先日、酒粕と天然塩だけで作られた奈良漬を、実に修学旅行で奈良を訪れて以来、買いました。こちらも「始末」の点から、ハッとしました。「残りました酒粕は、ひと塩した、鮭(さけ)、鰆(さわら)等を漬けて頂きますと、四、五日でおいしい魚の粕漬となります。焼く際は、こげすぎないようにお心配り下さい。」と添えてあったのです。酒粕はこちらに来るまで苦手で、奈良漬をいただいた場合は、洗い流したりお湯に浸したり、酒精分を抜く方向で、なんとか無駄にしないようにしていたのでした。

京都に来てから、うどんと同じくらい蕎麦を、トマトと同じくらいピーマンを、しょうゆラーメンと同じくらい味噌ラーメンを愛するようになり、酒粕も楽しめるようになったのです。酒粕はフレッシュなものが手に入ることもありますが、それ以外は単に、東京との気候の差ゆえです。

ちなみに、奈良漬は8世紀の木簡にも「津」という名前で、その原型が記されているものだそうです。お酒自体貴重だったため、その後も上流階級の食べ物だったようです。商品として流通し始めたのは、江戸末期だそうで、商品になるまでの時の流れに惹きつけられました。

蕎麦の方は、東京にいた時、観賞用に育ててみたことがあります。とてもきれいで、透明感があり、長く楽しめる、育てやすい植物です。

お蕎麦や奈良漬をきっかけとして、さらに静かに朗らかに、料理の「始末」ができる自分になろうと思ったある日のお話でした。

違う星。

おはようございます、吉野実岐子です。

暑すぎて、麻の長袖が心地よいゾーンに突入しました。日差しがあたると痛いのです。もちろん日傘もさしています。

しかしベランダでは、今頃育ってきた紫蘇がいて、朝顔をのぞけば、5月下旬にみえます。

アシナガバチ(とてもおとなしい蜂で、何もしなければ攻撃しない)がベランダでのんびり休憩していたり、相変わらず35℃超えている中で、午後二時に地上30cmをトンボが飛行していたり、ご近所のバラはまだまだ満開です。へろへろになってベランダで休憩していたカナブンには、ブルーベリーを半分に割ったものを置いておいたら、元気になって去っていきました。

蝉はずっと鳴いてはいますが、突然オーケストラがシンフォニーを奏で始めるいつもの感じはなく、控えめなカルテットといった感じです。昼からずっと秋に鳴く虫達が、演奏中です。

総じて、気候変動というより、どうも違う星に来てしまった気がします。地中を感じるとゆるゆるのババロアのようで、そんなゆるさの上に、こんなに建物も立ち、人もまだ立てることの方が、奇跡に感じます。それに全く勘づかない人間様達をみていると、リバーシブルのカバンのごとく、内臓がひっくりかえって外にあらわれそうになります。

こういう異常さの中でやるべきは、身体が開いていることを大前提としたうえで、①自我を強める、②自我を超える、です。同時並行でやります。詳しくはコーチング・セッション内でお伝えします。

「お母さん」になる準備。

土用の丑の日ですが、ニホンウナギは絶滅危惧種であることを、シェアしておきます。おはようございます、吉野実岐子です。

わたしたちは、生まれてきてしばらくの間「自分である」という感覚は、持ち得ません。

主に接触の多いお母さんが感じることを、自分が感じたことだと受け取る状態にあります。

あなたがもつ妙な不安や恐怖は、この時期、お母さんがあなたに対してあるいは世界に対して思っていたものを、自分のものだと誤認して(せざるを得ない)いるだけでしょう。

小さい時は首もすわらなければ、食べ物もたべられないわけで、自分の身体機能を自分の筋力で使うことができません。だから親にきちんと依存して、親を喜ばす必要がない時期、生き残るためにたたかう必要がない時期を堪能する必要があります。

大人から見て「お母さん」という役目をきちんと果たしているかより、お母さんが心の深くで何を感じているかの方が、大事です。そんな点から「お母さん」になる準備をされてみてくださいね。

すべては「より自分である」ために起きている。

もはや「新しい季節」を毎日生きています。おはようございます、吉野実岐子です。

お母さんが、身体を隅々まで感じきり、そのために、必要なケアや判断をできていると、子供との間に健全な絆が発達します。

つまり、お母さんが、身体を愛していると、お子さんは生まれてから迷子になりません。

逆に迷子になった子供は、どうするかというと、食べ物やショッピングや仕事に依存して、絆をつくろうと誤作動を起こします。絆つくれないものへ手を伸ばし、絆を誤認した状態が続きます。

お母さんという役目を十分にはたすには、身体を愛した上で、「すべてはより自分であるために起きている」という視点が有効です。

ひたすら「自分である」という感覚を育てていってあげましょうね。

身体を愛する。

焼き物の中では、やっぱり志野焼が一番好き!おはようございます、吉野実岐子です。

身体を愛するとは、身体をジャッジして「自分の身体が好き」「この身体がお気にいり」と思うことでは、ありません。

身体を隅々まで、感じきるということです。隅々まで感じきるために、必要なケアや判断をするということです。

人工的な香りのクリームを塗って、感覚を麻痺させたり、飛行機などで高速移動して、身体に多大な負担をかけたり、憧れの外見になるための筋トレや食事制限は、「身体を愛する」の真逆に位置します。

特にこれからお子さんをもちたい未来のお母さんが、「身体を愛する」ことは、生まれてくるお子さんにも多大な影響を及ぼします。

生物学的にお母さんからしか生まれ得ないので、お母さんのお話になるのですが、お母さんが色々やっていようと、結果的に身体を愛していないと、子供が自分の本能レベルのものを信じるために必要な絆が、形成されません。

「身体を愛する」とは、自分の身体にいて、とことんリラックスできて、まもられている感じがあり、実際そうできるということです。

でも、お母さんが自分の身体を愛していないと、つまり、自分の身体にいて、緊張していると、それはお子さんにも引き継がれます。

明日から、二十四節気では「大暑」に入ります。どうかここから、精一杯あなたの身体を愛してください。

「もっと子供でいたかった」

富士山みると「もうすぐ形変わるしね」と思います。おはようございます、吉野実岐子です。

アダルトチルドレンであると自覚し始めた時に、多くの方が涙ながらに口にするのは「もっと子供でいたかった」です。アダルトチルドレンはみんな、随分早くから大人として振る舞い、家族を救おうとしてきた子供時代をもつ人達だからです。

今、戦下にいるような気持ちではなく、とりあえず自分が心からくつろげる所があり、育った家族と物理的に距離をとれていると感じるなら、あの頃急いで大人になってまで家族に身を捧げた中で、本当は自分が体験してきた見捨てられ・無視・虐待・混乱などを、「事実あったもの」として、認めることができる時期にさしかかっています。

今でも、欲求をあらわすと怒られるなどの辱めを受けたことや、無視されたこと、養育者をなだめる役割をしていた事実を合理化したり、矮小化する傾向があるなら、そのこと自体があなた自身を軽んじ、傷つけている事実に、ご自身を開いていきましょう。

後日、この続きを書きますね。

歯磨きタイムとフロスタイムを別にする。

青梅のシャーベットがおいしいです。先月つくっておいてよかった!おはようございます、吉野実岐子です。

先月、歯医者さんで「歯磨きのついでに、フロスを使っていませんか?」と言われ、ハッとしました。

歯磨きの補完としてフロスに手を伸ばしていたため、洗面所に立つ時間も長くなり、「フロスは早く終わらせよう」としていました。

その結果、歯に巻き付けるようには使わず、歯間にいれて上下に動かす動きだけでおえていました。歯の形に沿うように、左右にはうごかしていませんでした。

だから、どんぴしゃ、歯間には歯垢がないのに、すぐ横には歯垢がある状態になっていました。

「歯磨きタイムとフロスタイムは別にしましょう!」と言われて、納得しました。

わたしは、部屋の掃除機タイムと雑巾がけタイムは、別にしています。雑巾がけは、各コーチング・セッション後やお風呂をためている間にしています。

空間にばかり意識がいっていたけれど、もっと歯という物質も大切にしようと思いました。

空間と物質はセットなので、ここからまた面白いことが始まりそうです。

決めたのにできない理由。

最近のスポーツウェア、面白いですね。おはようございます、吉野実岐子です。

「決めたのに、できない」と思う時、実は決めていないんです。

「やるしかない」「やらなきゃ」は、外から強いているだけで、決めてはいないんです。

決めるとは、内側から立ち上がり、自分を支える感覚です。水柱が立っているような感じです。

「強いないと自分は動けない」と感じているなら、動けない恐怖をとことん味わい抜いてみませんか?つまり「動けない恐怖」から卒業します。

そうすると、実は「動かない」と決めていたことに、気づいて「な~んだ」と楽になるでしょう。その後「動かない」ことが、実は正しい選択であったことが分かり、ハッとするでしょう。

性的境界。

台風11号の影響で、強風で家が地震のように揺れた後は、大雨で避難勧告がでた京都から書いています。おはようございます、吉野実岐子です。

アダルトチルドレン(機能不全の家庭で育った子供)の人は、性的な境界を尊重されずに育っている方が、圧倒的多数です。

「性的境界を尊重されない」とは、例えば①「本当は男の子がよかったのに」と生育環境にいた大人から思われていたり、②父親不在の家庭で子供が夫のように、自分の母親の愚痴を聞いたり、③父親が母親を軽蔑していたように、自分も女性を軽蔑することです。

みなさんが想像された「性的境界を尊重されない」とは、だいぶ違って、驚かれたかもしれませんね。

異性を軽蔑する人は、どう親しくなったらいいかわからず、こわいのです。だから下にみて、恐怖は感じなくて済むようにします。つまり、男性優位社会とは、女性がこわくてたまらない社会でもあります。

パートナーが最善を尽くしているにも関わらず、養育者がそのパートナーを軽蔑していると、子供は混乱したまま、それを受け継ぎます。結果として、子供は自分の性を受け入れ切れず、異性との関係が従順なものになったり、極にふれた性行動しか選べずに、苦しみます。

母親が男性に怒りをもっていると、息子がその怒りを受け継ぎ、女性に軽蔑されると、性的によろこびを感じるようにもなります。

とにかく徹底的にご自身を癒やしてくださいと、みなさんにはお願いしたくなります。ご自身が何を受け継ぎ、何を子供へ手渡しているかについて、もっと自覚されて下さい。お子様がいない場合も、です。

依存のサイン

少し前に、某美術館に行った時、平安後期のある五鈷杵(法具)だけはすばらしくて、その感性に自分の変容を感じました。ちなみに、感性とは心ではなく、身体全体のもの、これが解らない人は、身体が閉じ閉じです。

おはようございます、吉野実岐子です。

依存していると「なくなると、さびしい」と思い、同時に「はやく楽になりたい」と思います。つまり、さびしくて苦しいのが、依存なのです。

依存している時には、その対象を自分の一部と誤認して、一体化しています。仕事やお酒やショッピングへの依存は、日本でも知られているかと思いますが、今日は感情への依存のお話をします。例として、悲しみをとりあげます。

悲しみに依存していると、何があってもいつも最後「悲しいです」で終わります。そして、その時に喜びにも似た甘いエネルギーが出るのです。「悲しいです」と言いたいがために、この人は経験をつくりだしたのではないかと、見える状態です。「悲しみに溺れる」という表現は、悲しみに依存する姿をよく捉えています。

この状態が、悲しみは自分であると捉えている状態、つまり、悲しみに依存している状態です。「あぁ、この悲しみは自分ではなかった」「あぁ、この悲しみも自分ではなかった」と、悲しみから卒業していくと、どんどん楽になっていくことを、実感していけるでしょう。

楽になるために、まずは一歩、踏み出してみましょうね。