真の強さ。

多くの人が勘違いしていると思うことがあります。痛みを避けられることを、強さだと思っていませんか?

痛みを避けられるよう、PTAや職場で一番支配的な人におもねったり、痛みを避けられるよう、感じないようにクールぶったり、痛みを避けられるよう、コーヒーをがぶ飲みして、仕事に我を忘れたりしていませんか?

本当の強さは、痛みを感じ切れるよう、自分をサポートしきれることです。

失敗する痛みを味わいたくないからと、起業してすぐコンサルのようなレールをしいてくれる人に、自分の事業の行く末をお任せしたり、怒られて痛みを感じることを恐れて、ひたすら怒られない選択を積み重ねてはいないでしょうか?

醜い自分(だと自分がおもってるだけ)も、弱い自分(だと自分がおもってるだけ)も、すべて見逃さず,置き去りにせず、いつも見守り目撃し続けることが、強さではないでしょうか?

明日からいよいよ七月!ここまでの一年間、どれだけ醜い自分や弱い自分を見逃さず、見守ってこれたかが、この後、明るみに出てきます。

やったつもりだったか、思っていた以上にやっていたか、どんな現実が用意されていくか、楽しみですね!

20%オフしました。

こんにちは、吉野実岐子です。

沖縄は梅雨明けしましたね。新月の今日は、あなたにとって大切なことを、しっかり感じ切ってみる時間をつくってみましょう。

わたしは、この間、過去のメールをひとつひとつみて、もうとっておかなくていいだろうというメールをひたすら削除しました。

何万件とあったので、映画「Before Sunset」と「Before Sunrise」を観ながらというより、聴きながらです。「ん?今の英語わからん」と思う時だけ、画面に戻り、あとはひたすらリスニングでした。(ちなみに、この続編にあたる「Before Midnight」は、今年公開されましたね〜♪)

普段から、不要になるとちょこちょこ削除していたので、あっても20%だろうとおもったら、見事に削除したメールの件数が、全体の20%でした。

20%オフにより、単純計算だと25%のスペース増です。メールボックスをあけた時、気分でなく、身体がすこし軽やかになれるのを、ハッキリ感じられました。

データはUSBなどに押し込めたり、Webにアップしてしまえば、目に見えないも同然の扱いを受けやすくなります。

しかし、ある程度まで、身体がひらいていれば、その見えないデータからの影響も、ハッキリ身体感覚として、感じます。雨の日に身体が重くなるのと、全く同じです。

感じられない人も、やると人生の風通しがよくなります。ぜひ、数時間かけて、やり遂げてみて、なにを経験できるかに、好奇心を向け続けてみてくださいね!

雨の日、身体が重くなりませんか?

こんにちは、吉野実岐子です。

雨の日は身体が重くなりませんか?気分からくるものでなく、身体がずしんと重くなりませんか?

もしあなたがそれを感じられているなら、普段から、台所の水滴はきれいに拭き取らずには、いられないでしょう。

なぜなら、台所に水がはいったままのお鍋があったり、水滴が飛びちっているだけで、やはり身体が重くなるからです。視覚的にうつくしいかどうかや、視覚的うつくしさや汚さからくる気分的なものでは、ありません。

身体がずしんと重くなり、空間が乱れていることを視覚的ではなく、身体全体で感じ、その乱れた空間の中で、自分の身体という空間も変化せざるをえないことを、身体が感じるからです。

わたしたち人間の優れた能力のひとつは、身体をつかい、目に見えないものを感じとれることではないでしょうか?

だからこそ、目には見えない重力を発見できました。赤ちゃんは気圧の変化に敏感に反応し、ぐずります。

身体がひらいていれば、お掃除できないという状態が、意味不明に感じます。お掃除を後回しにはできなくなります。

台所の水滴をふきとり、毎日しっかりお掃除することで、身体に気持ち良い方向を、リマインドしていきましょう。

身体がひらくと、あなたの口から出る言葉もかわります。身体をひらくと、合理的に変容していけます。

食べ過ぎて、肩こり?

こんにちは、吉野実岐子です。

最近「便秘だから、もっと食べて出そう」みたいな発想、あるいは、追い詰められた身体がそうしている方を、小さな子~大人まで、多く見かけます。身体が細いのに、よく食べるケース、小さい子が常になにか食べ続けている状態は、この「食べて出す」を疑うにふさわしい状態です。

あるいは、フードファイター(このネーミング自体くるってますが)並みに食べる、あるいは、映画「千と千尋の神隠し」の、食べてブタになっちゃうシーンのようなガツガツした食べ方をする場合は、「食べて出す」を疑うにふさわしい状態です。

そうやって、食べ過ぎ飲み過ぎると、消火器官や解毒作用が追いつかないので、腸や肝臓に負担がかかります。例えば、右の肋骨下の肝臓がうっすらでも、腫れていませんか?あるいは、右の肩がこったりしていないでしょうか?食べ過ぎても、肩こりになります。

こうしたことをお伝えすると『知らなかった」で、すませてきたみなさん、よかったらここからは「もっと自分に好奇心をむければ、こういうことを、自分で知るに至るのだ」という、次のステージに進んでくださいね!

嗅覚を取り戻す。

こんにちは、吉野実岐子です。

今日は、触覚に続いて、「嗅覚を取り戻す」ために、誰でも出来る簡単な方法を、お伝えします。

まず、マスクを二枚用意して下さい。そして、マスクをして、街を歩いてみて下さい。いつもなら、すぐ近くで気づく「あ、誰かタバコすっている」という臭いに、もっとずっと手前から「あれ、タバコ臭い」と、気づけると思います。

そのまま、スーパーの日用品コーナーに行ってみて下さい。いつもなら気づかない、ケミカルな臭い、買ったばかりのビーチサンダルのような臭いに気づいて「あれ?」と、思うでしょう。

帰ってきたら、今までしていたマスクと、新品のマスクの臭いを比べてみて下さい。今までしていた方を思い切り嗅ぐと、鼻の粘膜がピリピリしていたく、驚くと思います。

高湿度でマスクをすると、口をふさがれそうだとおもう日を除いて、マスクをし続けてみて下さい。そうすると、どんどん、今まで気づかなかった臭いに気づいていけます。そうすると、マスクをしていない室内でも、もっと細やかに、色々な臭いに気づいて、驚かれるでしょう。あなたの匂いも大切にできるでしょう。

こうして、五感が開いていくと、第六感も適正にバランスのよい状態で開いていきます。

それはつまり、激しい自己否定から、地球環境をよくしようなどとは考えないことです。エゴを満たすため、サイキックだと装ったり、自分が特別に「感じる」力があるなどと、思わなくなるということです。

こうやって「感じる」力を、取り戻していってみて下さい。これは、あなたが真にグローバルになっていく過程でもあります。

触覚を取り戻す。

こんにちは、吉野実岐子です。

みなさんは、お料理をする時、身体全体をつかってお料理していますか?例えば、お米を研ぐとき、漫然ととがないで、お米の音を聞きながら、研いでいますか?研いでいる時、手の感触が変わる瞬間に、気づけていますか?

頭で料理すると、何回研ぐとか、「の」の字を書くというマニュアルを求めたがります。そして、なぜかおいしくできないことに、不思議に思うのです。茶道をされている方は、触覚が閉じている人がいれるお茶が、何年経っても美味しくならないことに、気づかれていると思います。

多くの人は、五感の中の視覚ばかり、過剰に使っています。お米をとぐ時「白い水が出なくなったら終わり」という研ぎ方をしている人は、その典型です。テレビをみたり、スマホをみて、視覚を過剰に使って、あなた自身で、目を疲れさせたり、頭痛を作り出していませんか?そのために、余計なお金が必要になったり、余計な時間が必要になって、自分を忙しくさせていませんか?

頭で料理する人は、お刺身をつくる時、何回練習しても、刃をひくスピードがとても遅いのです。そうすると、断面があらくなり、頂くときに、お醤油がしみすぎて、お魚の風味が損なわれます。だから、おいしくないのです。手を長く置くことで、お魚をあたためてしまうのは、もちろんです。これも、五感の中でも特に、触覚が鈍りきっていることをあらわす、一例です。

五感をしっかり取戻し、開いていくと、第六感も適正に、バランスよく開いていき、第六感の感覚そのものが、深まっていきます。そうすると、似非サイキックや似非スピリチュアルから、クリアに一線を引いていけますし、欲という、あなた自身ではないものも、減らしやすくなっていきます。

触感を取り戻すため、ネイルや香料入りのハンドクリームで、手に負担をかけることを止めることからスタートする方も、いらっしゃるでしょう。それもすてきな第一歩です。

石鹸も酢も…

こんにちは、吉野実岐子です。

なんと、江戸後期、オランダ石鹸とよばれるものが、ごく限られた人・地域の間で出回っていた頃、石鹸(純石鹸と思われる)は、薬としても用いられていたそうです。腹痛には、石鹸をぬるま湯に溶かして飲ませ、ただれた傷口には塗るなどしたそうです。

また、当時最先端の療法のひとつとされた浣腸は、椿油・蜂蜜・酢を混ぜたもので行われ、栄養補給代わりとしてもいい療法とされていたようで、驚きました。椿油・蜂蜜・酢だと、ほぼ甘いドレッシングですよね。

バターと砂糖に続き、石鹸も酢も、薬として用いられていたと考えると、ますます手持ちの台所用品などが、シンプルになっていっています。

先日は、神社で柄杓にうっとりしていました。そして、普段から浴衣で寝ているので、旅館に泊まっても、なんら特別感を感じなくなりました(笑)。

女優の杏さんが好きで、こちらでドラマをチェックしますが、彼女も明治~大正にかけての女性が理想の女性だそうで、だから好きなのかなとも思いました。

昔の生活は、物が少なく、その分工夫がたくさんだから、何かと風通しがいいなぁと思います。余分が少ない分、足りていることに気づきやすく、知恵を使う分だけ、自分を生かしやすかった側面をみています。その方が、明らかに、身体も気持ちいいです。

江戸後期とでは、温度や湿度、空気のうつくしさに水のおいしさ、すべて違いますね。今は『日本奥地紀行』という明治初期の日本(主に、関東以北)を旅した、イギリス人女性の書いた本をちびちび読んでいますが、やはり東京は今よりずっと空気がきれいであることが、伝わります。

昔の良さを今に取り入れた方が、「今を生きやすい」のではないかと、感じています。

ワークショップ「怒りの正体」に参加されたみなさん、個人向けサポートは、今日が〆切です!利用したい方は、日付が変わる前に、必ずメールを送信しおえてくださいね!

今日は梅の日。

こんにちは、吉野実岐子です。

今日6月6日は、梅の日だそうです。街中では和歌山県外の人にとっては、破格と感じられるお値段で、梅と柑橘類が売られていました。

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南紀のみなさんは、総じて、小ざっぱりとした小ぎれいな大らかな方が多く、たくさんの方とお話ししましたが、どの会話もただ喜びでした。お水もおいしいエリアでした。

台風・南海トラフの危険をおしてでも、「ぜひ、住んでみたい」と、心は思えたエリアでした。住んでいらっしゃるみなさんも、そう感じていることが、会話の端々から伝わってきて、そのニュートラルかつ健やかな豊かさが、また堪らなくよかったです。(津波対策として、同エリア内で、高台に引っ越す方は増えているそう。)グローバルな視点の方と、多く出会いました。

身体感覚で感じたいと認識していたことを、すべて感じ取れ、心の感覚で味わいたかったことも、すべて味わえて、知りたかったことがよりクリアになったいい旅でした。

この後、我が家にもどさっと青梅が届くので、梅の手仕事が待っています。梅は(柑橘類もですが)、本当に私の身体に合うので、しばしばお世話になっています。かつては「船酔いには梅干し」と言われたそうですが、軽い乗り物酔いに乾燥した梅干しをいただいたり、もちろん海外にも持って行きます。

また、その時滞在している空間>わたしの身体という空間、という汚さの差がひらくほど、やはり普通に歩いていても、乗り物酔いのような状態になるので、そんな時も、乾燥梅のお世話になっています。(イメージでつかみたい方に、あくまでイメージを伝えるなら、浸透圧の原理のようなことが起きるのです。)それでもますます、わたしは身体をひらいていくし(=きれいにしていく)、身体を調整していけるようにします。

梅が身体に合わない方も、いらっしゃると思いますが(もちろん、それでいいのです)、わたしにとっては「梅様~」と呼びたくなるほど、お世話になっている存在です。かつて祖父母宅のあったエリアも、梅の里でした。

どうぞお身体をきれいにすることにも、時間を割く金曜日を、過ごされてくださいね!

女性として自分を愛する。

連日、たくさん歩いてます。

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そしたら、つばめの家族にも、出会いました。だから、今日は家族の話を書きます。

家庭内で、何らかの理由で、お母さんがお父さんからのサポートを得られないと感じ、孤独感を味わっていると、たいてい、お母さんは息子を、息子ではなく、自分の恋人のようにしてしまいます。息子と娘がいる場合、娘に対してと息子に対して、結果的に態度が大きく違ってしまうのです。

あるいは、お母さん自身が、孤独やむなしさを埋めるために、結果的に娘にだけつらく当たったり、お手伝いのようなもっともらしい理由の下、利用してしまうことがあります。本当は、お母さんは娘にとって「女性として自分を愛する」お手本です。娘は、お母さんを真似しながら、女性として自分を愛していきます。

それがない場合、お母さんから娘は、「だんなさんから、愛されようとし続ける寂しさ・孤独感」「(なにかしらの)恥という感覚の上で成り立つ自分」の方を、お母さんから継承します。意図的にするお母さんは、まずいないでしょうが、このような形で、記憶は連鎖していってしまいます。

そうすると、どこかで「男性に愛されることで、女性として満たされるのだ」と、娘は思うようになります。男性によって補われているので、男性がいなくなると、松葉杖がなくなった感覚ですから、パニックになります。「男性に愛されるように」がんばることが、幸せになることだと、思い込みます。

「だんなさんに振り向いてもらえるように」と、必死だったお母さんの記憶を続けていくのです。娘さんにとって、お母さんは、無防備に接することのできる女性ではなかったという表し方もできます。無防備に接すると傷つけられたので、女性である自分を無防備に女性の前に開く経験がないまま、育っていくのです。

今、上のお母さんにあたる方も、娘さんにあたる方も、回復を望むなら、身の回りに、無防備に接することのできる、屈託なく話せる女性の友達をみつけてくださいね。無防備でいられるコミュニティに、自分のペースでいくつも属して、自分を積極的に癒していってください。

女性として自分を愛せていない人は、たいてい、卵巣や子宮周りに病を抱えたり、ひどい月経痛を経験しているなど、身体が教えてくれています。心が抱えきれなくなった痛みを、身体が抱えてくれているのです。(したがって、これは身体の声ではなく、心の声です)

上に書いたことは、すこやかにリーダーシップを発揮していく上で、みなさんが思う以上に、ずっと大切な点です