「人間は、神を利用してまで、お互いを罰したがる。 」

新年に入って、映画『ソハの地下水道』を、鑑賞しました。ナチス支配下のポーランドで、ユダヤ人を下水にかくまった、ポーランド人の下水屋さんの実話です。実際かくまわれていた、小さな少女が2008年に出版した実話を基に、構成されています。

初めは、かくまうことで、ゲシュタポへのユダヤ人の通報(一人当たり)と、同金額をユダヤ人達(グループ)からもらっていたソハさんでした。通報もかくまうことも、いい収入になったのです。しかし、その内・・・。

収容所の中に入り、気づかれぬよう出ることをサポートしているポーランド人(と思われる)の男性が、お金を受け取らず「神の報いで十分だ。」と、言っていました。復興資金を流用している、日本の行政のみなさんとは、真逆です。

14ヶ月の下水道生活を助けたソハさんは、その後しばらくして、娘さんをソ連の車からまもろうとして、亡くなられたそうですが、「ユダヤ人を助けたからだ」と、陰口をたたいた人がいました。そこで流れた「人間は、神を利用してまで、お互いを罰したがる。 」が、この映画の一番のメッセージでしょう。

去年、森美術館(六本木)の「アフリカリミックス」でみた、ある映像を思いだします。様々な人種の人が、道路上を四つん這いで列をなして歩くアートパフォーマンスでした。通行人の逆鱗に触れ、アートパフォーマンスは中止に追い込まれます。アーティストの意図と、観客(歩行者など)が自らの中で作り出した印象に、大きなズレがありました。

そのズレについて、この日わたしの中で理解が深まりました。「四つん這いで歩かせる」これはナチスが収容所で、ユダヤ人に対してしていたことでした。映画内で出てきたこのシーンは、あまりに強烈で、未だ拭いきれません。

見ながら、自称日本大好きなレバノンの友人夫妻を、間接的に思い出しました。かつて、奥さんはアーティストで「ヒロシマ」という名の作品を、誇らしげに見せてくれましたが、わたしは、その瞬間吐きそうでした。きのこ雲を、ベッドサイドにおくランプにしたてあげたもので、オマージュには、思えませんでした。だからこそ「こんなに感覚の違う人と結ばれた」貴さを大切にしたいと、思っています。