涙を呼ぶ、忘れられない姿

わたしには、小さい時から、見ればハッとして泣いてしまう、忘れられない姿があります。

それは、わたしの母の姿です。沖縄戦終結の日、広島原爆の日、長崎原爆の日、終戦の日。彼女は、必ず、テレビの前に立って、祈るんです。彼女の中で、あらゆる戦争が幕を閉じた日は、「忘れてはいけないもの」と、記憶されているようで、例えば、正午にお米屋さんが来ていて、祈れなかった日は、後で、ひとりでテレビの前に立って、お辞儀をし、祈ります。

その姿が、ちょっと、泣かずにはいられない感じなんです。小さい時から、その姿をみると、わたしは心臓をつかまれる思いがして、泣かずにはいられませんでした。どうしても、鼻の奥がツンとしてしまいました。

彼女が祈り始めると、どんなにそれまで、ゲラゲラ笑うような雰囲気だったとしても、瞬間的に、荘厳で神聖な雰囲気に、変わってしまいます。ほんとうに、真剣に、心を込めて、祈るんです。それで、わたしは、その姿の方に、泣いてしまいます。

彼女のような祈り方をする人には、わたしは、まだ出会ったことが、ありません。あそこまで、真摯に、他の人がしない祈り方をする人は、見たことがないのです。彼女が祈り始めると、うわーっと時空を超えて、大事なものがたちあらわれ、一気に、空間が、瑞々しくなります。たった数十秒~1分のことなのに。

この姿を見た人は、たぶん彼女を、嫌いになれないと思います。そして、なぜ彼女がこういう祈り方をできるかというと、平和が、彼女の「人生の目的」だからです。「人生の目的」って、こうやって、普段から自然と、誰に言われなくても、生きているものです。

人生の目的を生きる瞬間は、つまり、心を込めている瞬間です。あなたが、人生の目的を探したければ、自然と、何をさしおいても、心がこもってしまう瞬間に、注目してください。